莫妄想(まくもうそう)
平成27年 1月 19日(月)
昨夜の坐禅会での住職様のお話から。
坐禅をするのは禅宗のお寺で、臨済宗と曹洞宗があります。
その禅宗の始祖が達磨大師、有名なだるまさんですね。
その達磨大師の唯一の弟子に慧可(えか)という僧がいます。
慧可は当時の学問を全て修める程の学のある人物でしたが、どうにも解決出来ない問題に苦しんでいました。
それを達磨大師に話します。
「私の心はいつも不安や心配でいっぱいです。どうしたらこの不安な気持ちから逃れられるでしょう?」
「よし、ではその不安、心配とやらを私の目の前に持ってきなさい。そうすれば私が消してみせます」
「・・・」
「どうした?さあ、出してみよ!」
「あっ、わかりました」
これで慧可は気付きを得たそうです。
そう、不安や心配というのは形、実態が無い。
自分の頭の中で、自分が作り出している妄想に過ぎないこと。
その妄想に囚われて、自分で自分を苦しめているに過ぎないのです。
このことを禅では「莫妄想」妄想することなかれと戒めます。
だいたい人間は心配や不安に駆られて、良い方向に気持ちが向くことはありません。
考えるほどに悪い方向に向かっていきます。
例えば昼間の明るい時よりも、夜の暗い時の方がネガティブな気分になりやすいのも、周りが暗いという環境も手伝うからです。
本来は真っ青な青空の心に、心配や不安という雲が流れているようなものです。
全く雲を出さないことは出来ませんが、雲を流して消すことは出来ますね。
当院のお客様でも、心配性の方が時々おります。
「大丈夫でしょうか?」
「良くなりますでしょうか?」
そういうお客様には「大丈夫ですよ!」という言葉と共に、心配不安な思いの体への影響を実体験として感じて頂きます。
「ああ、心配するとこういう風になるんですね!」
本当は心配性なのも個性ですので、悪いわけではありません。
人それぞれの持ち味ですので「変えなくちゃ」と思う必要はありません。
ただ、すこし物の見方を変えるだけで、今よりもずっと生きるのが楽になることは確かです。
このような事も、機会があるごとにお客様にはお話しています。
佐野市の気功整体
頭痛、肩こり、腰痛にはソフトカイロプラクティック秋元
昨夜の坐禅会での住職様のお話から。
坐禅をするのは禅宗のお寺で、臨済宗と曹洞宗があります。
その禅宗の始祖が達磨大師、有名なだるまさんですね。
その達磨大師の唯一の弟子に慧可(えか)という僧がいます。
慧可は当時の学問を全て修める程の学のある人物でしたが、どうにも解決出来ない問題に苦しんでいました。
それを達磨大師に話します。
「私の心はいつも不安や心配でいっぱいです。どうしたらこの不安な気持ちから逃れられるでしょう?」
「よし、ではその不安、心配とやらを私の目の前に持ってきなさい。そうすれば私が消してみせます」
「・・・」
「どうした?さあ、出してみよ!」
「あっ、わかりました」
これで慧可は気付きを得たそうです。
そう、不安や心配というのは形、実態が無い。
自分の頭の中で、自分が作り出している妄想に過ぎないこと。
その妄想に囚われて、自分で自分を苦しめているに過ぎないのです。
このことを禅では「莫妄想」妄想することなかれと戒めます。
だいたい人間は心配や不安に駆られて、良い方向に気持ちが向くことはありません。
考えるほどに悪い方向に向かっていきます。
例えば昼間の明るい時よりも、夜の暗い時の方がネガティブな気分になりやすいのも、周りが暗いという環境も手伝うからです。
本来は真っ青な青空の心に、心配や不安という雲が流れているようなものです。
全く雲を出さないことは出来ませんが、雲を流して消すことは出来ますね。
当院のお客様でも、心配性の方が時々おります。
「大丈夫でしょうか?」
「良くなりますでしょうか?」
そういうお客様には「大丈夫ですよ!」という言葉と共に、心配不安な思いの体への影響を実体験として感じて頂きます。
「ああ、心配するとこういう風になるんですね!」
本当は心配性なのも個性ですので、悪いわけではありません。
人それぞれの持ち味ですので「変えなくちゃ」と思う必要はありません。
ただ、すこし物の見方を変えるだけで、今よりもずっと生きるのが楽になることは確かです。
このような事も、機会があるごとにお客様にはお話しています。
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