心のデトックス
平成27年 2月 16日(月)
昨夜は坐禅会があり、気持ち良く坐れましたと日記にも書きました。
私は毎日の習慣として、瞑想と坐禅を取り入れています。
瞑想は3年以上、坐禅はまだ経験は浅いです。
どう違うのかと言うと形的には瞑想は目を瞑り、坐禅は目を半眼と言って半分開けます。
ただ、どちらも目的は「心のデトックス」
つまり心にわだかまる余計な思いを、毒出しすることにあるかと思います。
このわだかまりの事を仏教では煩悩と呼びます。
「こうあるべき」「こうでなくては」といった頑なな思いは執着になります。
人の成功をうらやんだり、妬んだりなどの思いは嫉妬です。
「人からよく見られたい」「良い人に思われたい」という思いは見栄です。
「あれもこれも欲しい」「あの人が買ったから、私はそれ以上の物が欲しい」これは我欲です。
煩悩でよく引き合いに出されるのが、大晦日の除夜の鐘ですよね。
大晦日に108回の鐘を突いて、煩悩を祓うという行事です。
この108回というのは、神社神道における八百万の神と同じく、「多くの」「たくさんの」と言う意味からのものだそうです。
人間は生まれたての時には全く煩悩はありません。
「オギャー」と生まれた赤ちゃんに、嫉妬や見栄、我欲等はありませんよね。
これが少しずつ成長するにつれて、親や先生、友達などからの影響で煩悩が心に付いていきます。
これは買ったばかりで新品のパソコンの状態から、使ううちに色々な情報がインストールされて、だんだんと動きが重くなっていくような例えでわかりやすいでしょうか。
パソコンの場合も定期的にクリーニングしたり、余計なソフトをアンインストールしたり、場合によっては初期化してスッキリさせることもあるでしょう。
坐禅や瞑想は、これと同じことを心に行っているのです。
健康においては「心身共に健康に」とよく言われますよね。
ところがほとんどの方が「身」つまり目に見える、触れることの出来る体の健康には運動をしたり、体に良いものを飲んだり食べたりで関心があります。
それに対して心身の「心」の健康のために、何かされている方がとても少ないのです。
美術館で絵を見る、音楽を鑑賞する、映画を観る・・・
確かにこれらは心の栄養補給には良いかもしれません。
ですが、これらでは煩悩の解消にはならないのではないかと思います。
瞑想や坐禅は、新しく知識得る、経験を積むものではありません。
むしろ逆に余計な思い、思考を捨てる作業です。
体で言えば断食に当たると言えるでしょう。
断食が体のデトックスなら、瞑想や座禅は心のデトックス。
「心身共に健康」はこの両方がバランスのとれた状態の事を言われます。
瞑想や坐禅は、本格的に取り組むには奥が深いのですが、自宅で一日に10分でも15分でも「静かに座る」ということからまずは始めてみてはいかがでしょう。
佐野市の気功整体
頭痛、肩こり、腰痛にはソフトカイロプラクティック秋元
昨夜は坐禅会があり、気持ち良く坐れましたと日記にも書きました。
私は毎日の習慣として、瞑想と坐禅を取り入れています。
瞑想は3年以上、坐禅はまだ経験は浅いです。
どう違うのかと言うと形的には瞑想は目を瞑り、坐禅は目を半眼と言って半分開けます。
ただ、どちらも目的は「心のデトックス」
つまり心にわだかまる余計な思いを、毒出しすることにあるかと思います。
このわだかまりの事を仏教では煩悩と呼びます。
「こうあるべき」「こうでなくては」といった頑なな思いは執着になります。
人の成功をうらやんだり、妬んだりなどの思いは嫉妬です。
「人からよく見られたい」「良い人に思われたい」という思いは見栄です。
「あれもこれも欲しい」「あの人が買ったから、私はそれ以上の物が欲しい」これは我欲です。
煩悩でよく引き合いに出されるのが、大晦日の除夜の鐘ですよね。
大晦日に108回の鐘を突いて、煩悩を祓うという行事です。
この108回というのは、神社神道における八百万の神と同じく、「多くの」「たくさんの」と言う意味からのものだそうです。
人間は生まれたての時には全く煩悩はありません。
「オギャー」と生まれた赤ちゃんに、嫉妬や見栄、我欲等はありませんよね。
これが少しずつ成長するにつれて、親や先生、友達などからの影響で煩悩が心に付いていきます。
これは買ったばかりで新品のパソコンの状態から、使ううちに色々な情報がインストールされて、だんだんと動きが重くなっていくような例えでわかりやすいでしょうか。
パソコンの場合も定期的にクリーニングしたり、余計なソフトをアンインストールしたり、場合によっては初期化してスッキリさせることもあるでしょう。
坐禅や瞑想は、これと同じことを心に行っているのです。
健康においては「心身共に健康に」とよく言われますよね。
ところがほとんどの方が「身」つまり目に見える、触れることの出来る体の健康には運動をしたり、体に良いものを飲んだり食べたりで関心があります。
それに対して心身の「心」の健康のために、何かされている方がとても少ないのです。
美術館で絵を見る、音楽を鑑賞する、映画を観る・・・
確かにこれらは心の栄養補給には良いかもしれません。
ですが、これらでは煩悩の解消にはならないのではないかと思います。
瞑想や坐禅は、新しく知識得る、経験を積むものではありません。
むしろ逆に余計な思い、思考を捨てる作業です。
体で言えば断食に当たると言えるでしょう。
断食が体のデトックスなら、瞑想や座禅は心のデトックス。
「心身共に健康」はこの両方がバランスのとれた状態の事を言われます。
瞑想や坐禅は、本格的に取り組むには奥が深いのですが、自宅で一日に10分でも15分でも「静かに座る」ということからまずは始めてみてはいかがでしょう。
佐野市の気功整体
頭痛、肩こり、腰痛にはソフトカイロプラクティック秋元
更新