新年初坐禅会
平成27年 1月 4日(日)
今朝は7時から報恩寺にて、今年初めての坐禅会に行ってきました。
寒い朝でしたが、初めての方3名を含めて11名の参加者です。
坐禅会に来られる方の年齢層は40代後半~60代で、若い方は少ないですが、今日初参加の3名は20代後半でしょうか。
最近は若い人にも、禅や仏教に関心を持たれる方が増えてきたようです。
仏教女子なんて言葉もあったりしますし、都会では禅カフェとか坊主バーなどもあり、若いお客さんで賑わっているそうです。
今日、初参加の3名もネットで検索して来られたそうで、禅の世界もインターネットという、最新の情報媒体と上手くバランスをとっているようです。
坐禅の時には半眼と言って、目を半分だけ閉じます。
仏像を見ますとそのような目をしていますよね。
これは見るでもなく、見ないでもない、ちょうどその中間を見るということです。
禅では「中庸」「偏らない」ということを重点としますが、この目の閉じ方もそういう意味でしょう。
私たちが暮らす世界では目に見える物質世界と、目に見えない精神世界という存在があります。
例えて言えば、目に見える物やお金などは物質世界の価値観で、目に見えない心や命というのは精神世界の価値観です。
中には目に見えるものが全てで、目に見えない物など存在しないという、唯物論の方もいるでしょうが・・・
ただ、目に見えるものが全てという偏った物の見方ですと、世の中のことで説明のつかない事はあまりにも多すぎます。
例えば当院の気功という施術は、目には見えず、今の科学では検証することは出来ませんが、現象としてあるのは体験された方でしたら皆さん解るはずです。
逆に目に見えない世界ばかりに偏っても、現実をないがしろにして、実生活が上手くいかない事が多いでしょう。
坐禅をするのは、このどちらにも偏らない「中庸」という状態を自分の軸にするメソッドです。
そして未来でもなく、過去でもない、常に「いまここ」、今行うべき事をしっかりと感じながら、丁寧に過ごす。
未来というのは、今何をしたかの結果ですので、今をないがしろにして良い未来はありえません。
まあ、あまり難しく考えないようにしましょう。
考えないというのもまた「禅」なのです。
佐野市の気功整体
頭痛、肩こり、腰痛にはソフトカイロプラクティック秋元
今朝は7時から報恩寺にて、今年初めての坐禅会に行ってきました。
寒い朝でしたが、初めての方3名を含めて11名の参加者です。
坐禅会に来られる方の年齢層は40代後半~60代で、若い方は少ないですが、今日初参加の3名は20代後半でしょうか。
最近は若い人にも、禅や仏教に関心を持たれる方が増えてきたようです。
仏教女子なんて言葉もあったりしますし、都会では禅カフェとか坊主バーなどもあり、若いお客さんで賑わっているそうです。
今日、初参加の3名もネットで検索して来られたそうで、禅の世界もインターネットという、最新の情報媒体と上手くバランスをとっているようです。
坐禅の時には半眼と言って、目を半分だけ閉じます。
仏像を見ますとそのような目をしていますよね。
これは見るでもなく、見ないでもない、ちょうどその中間を見るということです。
禅では「中庸」「偏らない」ということを重点としますが、この目の閉じ方もそういう意味でしょう。
私たちが暮らす世界では目に見える物質世界と、目に見えない精神世界という存在があります。
例えて言えば、目に見える物やお金などは物質世界の価値観で、目に見えない心や命というのは精神世界の価値観です。
中には目に見えるものが全てで、目に見えない物など存在しないという、唯物論の方もいるでしょうが・・・
ただ、目に見えるものが全てという偏った物の見方ですと、世の中のことで説明のつかない事はあまりにも多すぎます。
例えば当院の気功という施術は、目には見えず、今の科学では検証することは出来ませんが、現象としてあるのは体験された方でしたら皆さん解るはずです。
逆に目に見えない世界ばかりに偏っても、現実をないがしろにして、実生活が上手くいかない事が多いでしょう。
坐禅をするのは、このどちらにも偏らない「中庸」という状態を自分の軸にするメソッドです。
そして未来でもなく、過去でもない、常に「いまここ」、今行うべき事をしっかりと感じながら、丁寧に過ごす。
未来というのは、今何をしたかの結果ですので、今をないがしろにして良い未来はありえません。
まあ、あまり難しく考えないようにしましょう。
考えないというのもまた「禅」なのです。
佐野市の気功整体
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